自民党安倍派の政治資金パーティー問題をめぐり、長崎3区選出の谷川弥一(やいち)衆院議員が4000万円超のキックバックを受け取っていた疑いが浮上する中、取材の記者に対して「頭悪いね」などの発言ほかで批判を浴びています。
谷川議員は谷川建設の創業者であり、今は息子の喜一氏が社長です。おってみました。
谷川弥一は谷川建設の創業者だった「たたき上げの人」
谷川建設といえば、特に九州一円ではCMソングをすぐに口ずさめるほどよく知られている企業です。
谷川弥一氏のホームページには会社設立の経緯が書かれています。
谷川氏は、長崎県の西に位置する五島列島で生まれ育ち、長崎県立長崎東高等学校時代は親元を離れ、孤独な下宿生活を経験されます。家業の製材所を手伝いながら山に入り従業員とともに力仕事の毎日を送る中、自分の活躍の場を地元にとどめておいてもいいものかという疑問が浮上されたそうです。
「長崎へ出て、五島のためになしうることがあるのではないか。」と谷川創業の「未来像」が大きく膨らみ、1971年に株式会社谷川建設を設立されます。
創業時の所在地は「長崎市昭和町2-2」でした。地図で示すと以下です。JR長崎駅から車で12分ほどのところです。
その2年後には、本社を「長崎市花丘町17-10」に移転されます。以前の所在地から徒歩4分ほどのところになります。
さらにその6年後の1979年には、「長崎市松山町3-90」に本社を移転されました。JR長崎駅から6分のところで、近くには原爆の投下地とされる「平和公園」などがあります。現在は谷川建設工務本部が置かれています。少しずつ市街地に近づいてきていることがわかります。
谷川弥一氏の社長としての在任期間16年の間に以上の3か所に本社移転を進めておられます。
この社長時代の苦労をホームページに次のように記しておられます。
会社の規模・知名度での偏見で、許認可問題等役所への怒りが累積。不満やイライラが募る悔しさの絶頂期である。当時はその悔しさをいつもバネにして生きていた。きらきらと輝く自分の姿を胸に、一心に会社のために智慧を絞り、般若心経を唱えて気持ちを奮い立たせる。その繰り返しの毎日であった。ひたすらに生きることは、当然結果も残し、事業家として大きな飛躍を見ることになる。
谷川弥一氏ホームページより
会社スタート時には苦しく悔しい思いをされていたのでしょうが、順調に業績を伸ばしてこられています。
社長在任の時期に、佐世保支店、福岡支店、福岡東営業所、北九州支店、 博多支店、福岡西営業所、福岡南営業所 熊本営業所を次々に開設されました。かなり精力的に営業範囲を広げていかれています。経営者としての力をお持ちだったのでしょう。
そして、1987年、46歳の時に社長の座を息子の喜一氏に譲り、会長に就任。長崎県議会議員選挙で初当選されました。その後政治家の道を歩まれます。
また2001年、谷川建設30周年を迎えた時。会長谷川弥一氏は、日本で生計と学費を稼ぐためにアルバイトをしながら勉学に励む中国人留学生を見て、自分の若い頃の姿と重なり感銘を受けたことから「彼らに何かできることはないか」と中国・雲南省の回龍小学校に学校建設のための費用を寄付されています。
2003年、寄付金による校舎と宿舎が完成し、「谷川中日友好小学校」に改名されたといいます。
志しのある実業家、企業人であったことが伝わる話です。
またホームページのプロフィールページにある筆文字で掲げてある「打成一片(だじょう-いっぺん)」とは、「一切のことを忘れてある事柄に徹底すること。▽仏教語。禅宗で、座禅に没頭すること。座禅によって実現するすべてが一体となった悟りの境地。」という意味です。 ※「打」は強意の助字で、「た」とも読む。
谷川弥一議員の息子・喜一氏が谷川建設現社長「役員には身内入れ盤石体制」
谷川建設を弥一氏から引き継いだのが、長男の谷川喜一氏です。現在従業員468名、売上高237億円というさらに大きな会社に成長させておられます。
本社ホームページにはご本人の画像が掲載されています。やはり親子ですね。似てます。
会社概要をまとめると次のようになります。
- 会社名:谷川建設株式会社
- 本社所在地:長崎県長崎市岡町9-1
- 設立: 1971年12月10日
- 業種:建設業
- 代表者:代表取締役 谷川喜一
- 資本金:1億円
- 売上高 :247億円(2022年11月期)
- 従業員数 468名
企業理念・経営理念には「真の豊かさを提案する住宅総合企業として、信頼と実績を重ねてきた谷川建設の家造り」と掲げ、つぎのように紹介されています。
家造りを通じて人々に心のやすらぎを提案し、社会に貢献するという一貫した哲学のもとに歩んでまいりました。~中略~ 九州を代表する総合建設会社としての誇りと自負のもと、確かな実績に裏打ちされた技術と信頼をさらに高め、日本の発展と幸せに貢献してまいります。
「日本の発展と幸せに貢献」の部分は政治家のスローガンのような感じですね。
2002年に現在地に移転されています。以前の場所からほど近いところです。
谷川喜一社長就任後、東京支社をはじめ、熊本営業所、大分営業所、鹿児島営業所、広島営業所なども開設され、さらなる事業拡大を着々と進めておられることがわかります。政治家の父弥一氏の後押しも少なからずあったのではとも思えてしまいます。
役員名簿で、取締役に就いておられる田丸昌和氏は、喜一氏の長女加代子さんが田丸姓ですので、ご主人と思われます。
関連会社が3社あります。それぞれに相応の実績のある会社です。
株式会社谷川商事、株式会社マルキ開発の代表取締役社長:谷川喜一氏です。
マルキ開発の役員名簿が次のとおりですが、ここにある「三宅浩子」さんは、谷川嘉一氏の次女です。
次が株式会社ティーズデザインの会社概要ですが、代表取締役社長に田丸昌和氏が就いています。
谷川グループは身内でガッチリ固めてあることがわかります。揺るぎない盤石な組織を築くことを考えてのことでしょうか。
谷川弥一議員の逆切れ”頭悪いね”発言が炎上「長崎県民として恥ずかしい」
自民党安倍派の政治資金パーティー問題をめぐり、谷川弥一衆院議員も4000万円超のキックバックを受け取っていた疑いが浮上している中で12月10日地元で囲み取材を受けた際の発言が炎上しています。
問題となっている発言、記者とのやり取りは以下のとおりです。
記者から、
4000万円超のキックバックがあったという報道があったが事実関係は?
谷川氏は当たり前のように
読み上げますよ?
と前置きしたうえで手元の紙に目を落とし
清和政策研究会のパーティー券の問題について、刑事告発を受けている案件でもあり、事実関係を慎重に調査・確認をして、適切に対応してまいりたい
と悪びれることもなく堂々と読み上げました。疑いの政治家が答えている型にはまったこの言葉です。引き続き記者は、
キックバックがあった?
今、コメントしただけです。僕が今言えることは。
(パーティー券の)ノルマはどれくらいだった?
だから今言った通りって言っているでしょ。今言った通り
収支報告書の訂正は?
だからいま言ったとおり。いま言ったとおり以外はコメントありません
会派の中でそのようなことが?
まあいい。そのとおり。なにを言ってもそのとおりってことです。頭悪いね、言っているじゃないの。質問してもこれ以上、今日言いませんと言っているじゃない。わからない?
谷川氏は具体的返答はまったくせず語気を強めこのように言ったのです。
その時の動画も拡散されています。
その後、KTN(テレビ長崎)の女性記者から、次に話を聞けるタイミングについて質問が飛ぶと、谷川氏はこう言い放った。
もういいよ。君はいいから。君以外には言うよ。あんましつこいから。君以外の人が来て。KTNの君以外の人。あんましつこい人、嫌なんだよ。言っているじゃないですか。今日はこの時点でこのとおりだって。ここに来ているんだから。それは評価してほしいな。逃げまくっているわけではなんにもない
これらの発言に対し多くの人が呆れ、怒っています。地元の人からは「長崎県民の恥さらし」とまで言われています。次の選挙への影響があるのではないでしょうか。
長崎3区選出の 谷川弥一 衆院議員の後援会の責任も重いと思います。 「長崎の有権者は、こんな悪質を言われている人を国会のおくるの?」と言われれいますね。 長崎県民の恥では?お気の毒です。
谷川弥一、長崎県の恥。
谷川弥一が自分の比例区から当選しているなら心底自分が住む場所を恥じる この老害は長崎3区の比例代表らしい 比例代表だろうと自分が長崎人でなくてよかった 恥ずかしくて死ねる
国会の居眠りでさらに叩かれる「反省してる?」
12月12日、谷川氏は衆院本会議に姿を現しました。その際居眠りしている姿がしっかり映像に捉えられており、テレビで放映され、「よく寝ていられるもんだ」と、さらに多くの人の批判を浴びることになりました。
無能老害谷川弥一
今日のミヤネ屋で放送された国会中に寝る弥一
天罰が下りますように。
よく寝ていられるもんだ」逆ギレ議員・谷川弥一氏、国会での爆睡姿に「仕事辞めて家で寝ろ」批判殺到
コメント4649件
炎上しているやん!!!
本会議終了後、記者に囲まれた谷川議員は、両手で記者を振り払うような仕草を見せ、ダンマリ。唯一、「頭悪い」という発言についてだけは「申し訳ないです」と謝罪したとのことです。周囲には「派閥が収支報告書には書かなくて良いと言ったから……」とこぼしているとも報じられています。
今回の発言でいっきにその名が広まった谷川弥一衆議院議員。今後も注目したいと思います。
2024年1月22日、自民党の派閥の政治資金をめぐる事件を受け、東京地検特捜部に略式起訴され、自民党を離党した谷川弥一衆議院議員が衆議院に議員辞職願を提出しました。
谷川弥一議員は地元で利権がらみの大スキャンダルを起こしていた
谷川議員について、地元の長崎で有名な「国営諫早湾干拓事業」にからむ谷川氏の露骨な“利権誘導ぶり”が新たに報じられました。(NEWSポストセブン)
この事業は国が総事業費2460億円をかけて長崎県の諫早湾の湾口に長大な堤防と水門を建設し、造成面積約942ha(うち農地約670ha)の広大な干拓地をつくった巨大プロジェクト。多くの水門が次々に閉じられていく光景は「ギロチン」と呼ばれ、大きなニュース(1997年)となりました。
当時長崎県知事も務めた金子原二郎・元農水相とともにこの事業を推進し、完成すると、設立されたばかりの農業生産法人が入植し、農地全体の約5%にあたる32haもの利用権を取得したといいます。この農業法人は、長男・谷川喜一氏と、当時長崎県知事だった金子氏の長女で喜一氏の妻が設立したものでした。
このことが地元では大スキャンダルとなり、金子氏が長崎県知事を退任すると、長崎県議会に「百条委員会」が設置されて入植の経緯が追及されています。
その時「将来の土地転売目的で入植したのではないか」と聞かれ、返した言葉が次です。
息子の会社で実験農場を行なってきた。干拓地への入植はその一つで、何が問題だというのか。国会議員や知事の親族であることが問題なら、息子夫婦が離婚し、私が議員を辞職すればいいのか
その後、この農業法人の入植は取り消さていますが、その頃から何も変わっていないということなのではないでしょうか。
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